松下幸之助とは?
松下幸之助氏とはどのような人だったのでしょうか?
多くの人が思い浮かべるのは、
Panasonic株式会社(旧:松下電器産業株式会社)の創業者で
“経営の神様”としても知られる人物
ということではないでしょうか?
しかし、
松下幸之助氏は経営者としてだけではなく
様々な側面を持ち合わせていました。
1946年の『LIFE』誌ではこのように紹介されていました。
昭和39年10月10日から開催予定の東京オリンピックは、
この年最大の国民的関心事であり、日本は世界からも注目されていた。アメリカのライフ誌は、その直前の9月11日号で日本特集を組み、
その中で「MEET MR.MATSUSITA」(ミスター松下に会いましょう)
と題する記事を掲載した。その第1ページは、
「最高の産業人、最高所得者、
思想家、雑誌発行者、ベストセラー著者」と
5つのタイトルを冠せられた会長の写真で飾られていた。…会長の経歴をはじめとして、
松下電器の経営理念、活動内容、PHP思想などが、
豊富な写真とともに、8ページにわたり詳しく紹介されていた。
つまり、
最高の産業人
Panasonic株式会社を一代で築き上げた20世紀に日本で最も成功した実業家
最高所得者
長者番付1位に10回輝き、
1953年〜1970年まで18年連続、計30回以上10位以内に入る
思想家
「人間とは何か」を常に問い、
人間について深く思索し、それを経営に活かしていた
雑誌発行者
1946年・株式会社PHP研究所を創設
PHPとは、“Peace and Happiness through Prosperity”という
英語の頭文字をとったもの
ベストセラー著者
『道をひらく』は、
累計520万部突破(2017年現在)の戦後ベストセラー第2位
という5つの顔を持ち合わせ、広範囲に渡る活躍をされた人物なのです。
こんなにも多岐に渡り広く活躍される人物は
世界でも珍しいと思いますが
その生い立ちは“恵まれている”とは言い難いものでした。
次回は、その生い立ちについてまとめていきたいと思います。